レクチュア ・コンサート 2006‐2007年度 第1回 通算20回
2006年12月2日(土) 18時30分
於:Studio Virtuosi

 Wolfgang Amadeus Mozart 作曲 "Lieder"
モーツアルト の 「 歌 曲 」 生 誕 250年 を 記 念 し て  

バリトン:川 村 英 司

ピアノ:東 由 輝 子

 今年はWolfgang Amadeus Mozartが生まれて250年の記念の年で、色々な催し物が計画されていましたが、歌曲については作品が少ないこともありあまり演奏されていませんし、僕が歌いたいと思っている皮肉に富んだ歌や冗談、諧謔的な歌は言葉の壁があり、演奏される機会が少ないように思います。しかし僕はそれらの世間を風刺した詩に作曲したモーツアルトの歌曲になんとなく惹かれるのです。昨年でしたかヴィーンのシュテファンドーム裏の彼の住居が改装された時に、彼の収入が非常に良かったこと、それにもかかわらず多額の借金があり、フリーメーソン仲間の富豪に何度となく肩代わりをしてもらっていたことなどが話題になったようです。そのような話を聞くと彼の違った一面を見たような気がしてより身近な存在に感じられ、皮肉や冗談にもより親しみがわいてきます。

 今回は演奏される機会の少なく、また僕が歌いたい、色々な内容の詩に附曲した彼の歌曲について話し、演奏してみたいと思います。
 それらの歌曲を通して彼の生活、世間に対する彼の気持ちの一端が見え隠れして感じられる様な気がします。皆様方はいかがでしょうか?
 先ほども触れましたが、彼の収入が非常に多く、裕福な生活をしていたとの研究発表がありました。にもかかわらず非常に多くの借金をしていて、何度となくフリーメーソンの仲間の大金持ちに肩代わりをしてもらって借金の返済をしていたそうです。その原因は所謂賭博で、勘ぐる所、いつもいいカモにされていたようです。作曲による収入も結構良かったとのことですし。
幼いころオーストリア国王ハップスブルグ家のマリー・アントワネット姫に「僕のお嫁さんにしてあげる」と言ったとかいう逸話が残っていますが、自由奔放というか、好き勝手と言うのか、しかも結構皮肉っぽく世間を見ていたモーツアルト像が見えてくるように思います。

 モーツアルトの音楽を聴かせて醸造したワインや日本酒を飲んだことがありますが、お酒の醸造だけではなくいわゆる音楽療法に使用する音楽にもモーツアルトの曲が多数利用されています。
彼は心の休まる音楽、楽しい音楽を作曲していますが、彼こそは天才と言える作曲家で、彼の作曲する音楽と実生活はかけ離れていて全く別物だったのではないでしょうか?我々は直ぐ生活態度そのものが音楽に出て来てしまいますが、天才は全く別なのでしょう。

 天真爛漫に生活をし、作曲をしたのでしょうか?彼の生活そのものがお伽噺だったのかな?とさえ思えるときがあります。賭博でどんなにすっても全く気にしなかったのでしょうか、何度でも、返済できないくらいすっていたそうですから。僕にとっては全く不思議で、考えられないほど良い性格をしていたようです。大富豪に肩代わりをしてもらい、またとことんすってしまう。その繰り返しを何度でもしたというような話でした。不思議に思うのは僕だけなのでしょうか?

 1990年に京都のモーツアルト協会から91年の没後200年記念にリサイタルをと依頼されました。ジョイントならプログラムを考えられるのですが、一人だとプログラムが組むことが出来ないと思って「近じか渡欧するので、ヴェルバ先生と相談して、プログラムが組めたら引き受けます。」と折角の申し出を保留にしました。ヴィーンに着いてヴェルバ先生にこんな話があるのだが、と相談すると「何故引き受けないのだ?」「このようなプログラムにしたら?」とあっという間にプログラムを作ってくれましたので、びっくりしたのです。
 それがそのときに歌った下記のプログラムです。

 An die Freude KV 53
 Wie unglücklich bin ich nit KV 147 (125g)
 An die Freundschaft KV 148 (125h)
 Ridente la calma KV 152 (210a)
 Dans un bois solitaire KV 301 (195b)

 Zufriedenheit KV 349 (367a)
 Komm, liebe Zither KV 351 (367b)
   Ich würd auf meinem Pfad KV 390 (340c)
 Warnung KV 433 (416c)

 Gesellenlied KV 468
 Die Zufriedenheit KV473
 Die betrogene Welt KV 474
 Das Veilchen KV 476

 Kantate : Die ihr des unermesslichen Weltalls KV 619

 Lied der Freiheit KV 506
 Die Verschweigung KV 518
 Das Lied der Trennung KV 519

 Abendempfindung KV 523
 An Chloe KV 524
 Das Traumbild KV 530

このようなプログラムをあっという間に組める先生に驚き、先生の知識の豊富さを見直したのです。知っている人は知っているものなのです。浅学非才を改めて反省させられたしだいでした。そのヴェルバ先生が亡くなられてまもなく15年になってしまいます。本当に光陰矢のごとしで、驚いてしまいます。

今回は没後10数年のヴェルバ先生を偲び1991年のプログラムから抜粋して歌います。
先ず最初にモーツアルトが12歳で作曲した歌を歌います。1765年(9歳)から声楽曲を作曲していますが、それらはいわゆるコンサートアリアと宗教曲、歌芝居(Singspiel)、ラテン語のコメディーで、歌曲はこの曲が最初のようです。

An die Freude KV 53 (43b) (Uz)  歓喜によす

1767年12月12才の時にヴィーンで作曲したこの歌曲は歌の旋律と伴奏の左手だけが書き残されています。モーツアルトは五線紙の2段に旋律と伴奏の部分を作曲した歌曲がいくつもあります。伴奏右手は演奏者が自由に即興で演奏しても良いと思います。
装飾音符で聴きなれない形と思われる方がいらっしゃると思いますが、詳しくは「すみれ」で説明いたします。 彼が彼の子供のために作曲した3曲もこのような形
(参考資料1)で出版されました。
私が編集した楽譜には伴奏右手の部分は、各自が自由に音を加えられるように空白にしました。
歌詞を読んでいただくと分かると思いますが、例え神童でも10歳そこそこの子供が選んだ詩ですので、このような内容の詩になったのでしょう。ほかの色々な内容を持った詩と比べると、かなり普通な、まともな詩だと思います。歌曲としては最初に作曲した曲のようです。
詩人のUzは1720年10月3日にAnsbachで生まれて、1796年5月12日に同地で没しました。法律の勉強をしてニュールンベルグ地方裁判所に上級公務員として勤務しました。シューベルトは彼の詩に5曲書いています。
モーツアルトの作品には結構贋作が紛れ込んでいたようですが、旧全集(AGA)ではモーツアルトの作とされていた作品でも、研究の結果として贋作と認められた作品は新全集(NGA )では省かれました。例えば「モーツアルトの子守唄」として我々が聴いていた作品は、現在はフリース作曲ということになっています。

Wie unglücklich bin ich nit KV 147 (125g) 僕はなんて不幸なんだろう 

1772年17才の時にザルツブルグで作曲しています。詩人は不詳です。
この年にはKöchel Verzeichnisによると149(125d)にDie Grosmutige Gelassenheit、150(125e)にGeheime Liebe、151(125f)にDie Zufriedenheit im niedrigen Stande、148(125h)にLobgesang auf die feierliche Johannisloge ≪O heiliges Band≫などの歌曲を書いたことになっていますが、モーツアルト新全集では147と148以外は掲載されていません。
自筆楽譜はザルツブルグのMozarteumが所蔵しており、Faksimile
(参考資料2)も出版されています。

Zufriedenheit KV 349 (367a) 満 足 

1780年末か1781年初頭にミュンヒェンでオペラ「イドメネオ」と平行して作曲されました。この曲は、最初はマンドリンの伴奏で作曲していますが、1784年にミュンヒェンオーケストラのホルニスト、ラング夫妻がヴィーンを訪れた時にピアノ伴奏にしたようです。普通はピアノ伴奏で歌いますが、歌のメロディーがマンドリン伴奏と少し違っています。 少しだけマンドリン伴奏のようにピアノで弾いてもらいます。メロディーの違いに気がつかれましたか?
詩人のJohann Martin Müller (1750 - 1814) については何も分かりませんが、1節と2節の内容の違い、そして3、4節の詩の内容をどのように表現するかが楽しみになります。

Komm, liebe Zither KV 351 (367b) 愛するツィターよ 

この曲はZufriedenheitと同じ時期に作曲しています。 作詩者不詳のこの曲は彼のオペラ「ドン・ジョヴァンニ」(1787年10月28日にプラーグで完成した)のセレナーデのための習作だとも言われています。「ドン・ジョヴァンニ」ではマンドリンの伴奏ですが、ここではツィターを考えて作曲しています。映画「第三の男」で有名になったアントン・カラスのツィター演奏は僕と同年代の方には懐かしいと思います。オーストリアの民族楽器です。
ドン・ジョヴァンニのセレナーデを少しだけ歌ってみます。ピアノ伴奏はMax Friedlaenderのものです。

Warnung KV 433 (416c)  忠告 

このテキストも作者不詳です。娘を持つ父親に忠告している内容です。本来はコンサートアリアとして1783年に作曲されたものでメロディーがピアノ伴奏譜とは少し違います。ピアノ伴奏として普通に歌われている曲はAugust Eberhard Muller (1767 - 1817) が編曲したもので、1799年以来ピアノ伴奏の曲として使われています。変わっている部分を歌いますので聴き比べてください。一部分短縮したのが良いのかどうか?僕はモーツアルトが作曲したメロディーで歌う方が好きです。
モーツアルトの機知に富んだ茶目っ気が感じられて楽しく歌えます。

Die Zufriedenheit KV 473 満足 

1785年5月7日にヴィーンで作曲したこの歌の詩人Christian Felix Weise(1726 - 1804)についても分かりませんが、Mozartは彼の詩Der Zauberer KV 472と、後で歌う Die betrogne Welt KV 474, Die Verschweigung KV 518に附曲しています。250年前にこんな庶民感情を詩にしたWeiseと、その詩を選んで作曲したMozartに敬意を表します。楽しんで歌えるのです。皆さんはどのように思いますか?社会主義思想が目覚め始めたモーツアルトの時代だけに、この詩で表現された小市民の支配階級に対する皮肉、死んで埋葬される墓穴の大きさはそんなに違わないのにね、と言うわけです。それにもかかわらず国土を広げたり、植民地を増やしたり、戦争をすれば、戦死するのは庶民階級なのです。将軍や皇帝は戦争では決して戦わないのです。「湾岸戦争症候群」は明らかに劣化ウラン弾による放射能障害です。自国の兵隊をそんな目に合わせるのが大統領なのです。戦争はしないこと!皆さんはどう思いますか?

Die betrogene Welt KV 474 だまされる世のなか 

この曲もDie Zufriedenheitと同じ日に作曲したChristian Felix Weisseの詩です。社会風刺というのでしょうか?騙す人、騙される人、歌の上だけにして欲しいものです。モーツアルトも結構騙されて、すごく収入(当時としてはものすごい収入)はあったそうですが、借金の山、また山。フリーメーソンの仲間の大金持ちに借金の肩代わりを何度もしてもらったそうです。
僕の親父は「騙すよりは、騙される方が良い!」と言っていましたが。それはそうですが、騙す人がいなくなると、どんなに世の中は過ごしよくなることでしょう。 現在は騙されない勉強もしなければ。

Das Veilchen KV 476 すみれ 

1785年6月8日に作曲された、この有名なゲーテの詩につけた歌曲をどのように今流の動画として表現するかで面白さが違ってくると思います。言葉から色々な情景をイメージして歌うのですが、言葉を明瞭に発音しなければ聴衆に歌手の描いたイメージを伝えることは出来ません。
大分前になりますが、「ベルカント唱法は声のために言葉を犠牲にする!」と言う日本人声楽家の発言を聞いてびっくりしたことがありました。どこの国の歌い手でも、どのジャンルの歌い手でも、言葉が分からなくても良いと言う指導者が居るでしょうか。特に日本のように言葉の不明瞭な、聞き取難いクラシック歌手の多い国は異常だと思います。例えば演歌とか流行歌で言葉が不明瞭では歌手として失格でしょう。クラシックでも同様なはずです。言葉が明瞭でないこと、すなわち発声が悪いことであり、歌手として失格なはずです。全く持って不思議なことです。
この曲の装飾音符で1963年以降に、それ以前の考え方と変わってきた扱いについて述べることにします。モーツアルトの直筆の楽譜
(参考資料3)には8分音符で書かれている装飾音符が、彼の没後の1799年に出版された楽譜(参考資料4)に16分音符で印刷されました。16分音符で印刷されている楽譜はペーター版(参考資料5)とこの2冊だけで、それ以外の楽譜、旧全集(参考資料6)、新全集(参考資料7)は8分音符で印刷されています。詳しくは僕が編集した「モーツアルト歌曲集」の158ページに書きましたのでお読みください。1963年以降の考え方の装飾音符の奏法とペーター版での奏法を弾き比べてもらいますのでお聴きください。
いかがですか?僕には新全集(1963年出版)の考え方のほうが、ロココ風な感じがしますし、レオポルド・モーツアルト(アマデウスの父親)やエマヌエル・バッハの奏法に従う方が正しいと思います。

Lied der Freiheit KV 506 自由の歌 

1786(?)年に作曲したこの曲の詩人Johann Aloys Blumauer (1755 - 1798)についても分かりませんが、ヴィーン詩人年鑑1786年版のために作曲を依頼されて、この年鑑は1786年の初めに出版されているので、多分1785年の終わりに作曲したのではないかとも考えられています。
僕のような自由業の人間には愉快なテキストで、楽しく、愉快に歌えるのです。現代のサーヴィス残業にあくせくするサラリーマンや恐妻家への皮肉と一緒に考えられます。モーツアルトも案外自分に対する皮肉をほんの一寸込めて作曲したのかもしれません。

Die Verschweigung KV 518 秘めごと 

1787年5月20日ヴィーンで作曲の、この詩も前述のChristian Felix Weiseの詩です。この曲の冗談に富んだと言うか、若い男女の気持ちを示した詩の各節ごとに繰り返す「彼は若いし、彼女も美しいのだから、その先は何も言うまい。」をどのように変化をつけて各節を歌うか毎回楽しんで歌っています。その時その時の気分で変化をつけて歌います。
3節の「彼女は茂みに覆われた水辺で、水浴びをしようとすると、彼はこっそりと忍び寄り、覗き見をする」などを如何にその情景に合わせた表現をするか、忍び寄り(schleicht)方にも色々あると思います。自分が本当に忍び寄って行くようなつもりで歌えた時はニヤっとしたくなります。

*Das Lied der Trennung KV 519 別 れ の 歌 

1787年5月23日ヴィーンで作曲したこの美しいメロディーの歌曲は、典型的なテノール・リートと言われています。Klamer Eberhard Karl Schmidt(1746 - 1824)による非常に長い18節まである歌曲でどの節を選ぶかが歌手のセンスということになるのでしょう。

*Abendempfindung an Laura KV 523 ラウラによす夕べの歌 

1787年6月24日にヴィーンで作曲したJoachim Heinrich Campe(1746 - 1818)の詩によるこの歌曲も非常に有名な彼の歌曲の一つです。

An Chloe KV 524 クローエに 

1787年6月24日の作曲ですので Abendempfindungと同日に作曲しましたが、詩人はJohann Georg Jacobiです。この歌曲も非常に有名な男性の気持ちを歌った曲です。女性が歌う場合にはズボン役としてケルビーノになったつもりで歌うことが大切だと思います。

Das Traumbild KV 530 夢の姿 

1787年11月6日にプラーグで作曲されたこの歌の詩人はLudwig Heinrich Holty(1746 - 1776)で、この詩は純粋な恋愛詩です。Holtyの最初の詩集が出版されたのが1790年ですので、モーツアルトが何処でこの詩を知ったのか、また恋愛詩にどのように関心があったのか、興味があります。

* Der Zauberer  KV 472 魔法使い 

この曲は1785年5月7日に作曲したWeiseの詩による女性の曲でとても楽しい内容の歌ですが、残念ながら男性は歌えません。今さっき経験した恋のときめきを女友達に詳細を告げている内容で、歌い方一つでかなりの違いを表現できる歌です。

* Die Alte KV 517 老 婆 

この歌はアインシュタインの「モーツアルト その人間と作品」に「擬古的なリートの通奏低音付のすばらしいパロディー」と書いていますが、モーツアルトが表情記号で"Ein bisschen aus der Nase" ( モーツアルトが自筆で書いた目録には durch die Nase )と書いているこの曲は僕の大好きな歌ですが、残念ながら女声の歌なので僕は歌えません。
こんな感じの歌で、最後の "Gute Zeit" のguteに付いているトリラの歌い方で非常に楽しいパロディーになります。